研究フォーカス
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09「地域」を研究する
1つのテーマに対して、異なる分野の先生方がご自身の研究を語り合います。
田間泰子(以下田間)人間社会システム科学研究科 副研究科長の田間です。本研究科では、分野横断的な交流によって、新たな知の構築を目指すことをモットーとしています。
そこで本日は「地域研究」をキーワードにして、異なる4つの分野から、たいへん興味深い地域研究をなさっている先生方をお招きし、お話を伺うことにしました。まず、自己紹介からお願いできますか。
酒井隆史(以下酒井)人間社会学専攻 人間科学分野で、専門は、社会思想史と都市文化論というところでしょうか。資本主義や支配の形態、その都度の時代のひとの思考のかたち、そして、都市をめぐるさまざまな事象を研究しています。
小野達也(以下小野)人間社会学専攻 社会福祉学分野で、地域福祉を研究しています。住民の福祉活動やコミュニティワークなどの地域福祉援助技術、自治体の福祉政策などです。
西田正宏(以下西田)人間社会学専攻 言語文化学分野です。専門は、歌学を中心とする学芸史、最近は古典学史とも言っています。
黒田桂菜(以下黒田)現代システム科学専攻 環境システム学分野で、海藻など未利用の海産バイオマスを資源として利用するための技術の開発や漁業や魚食を通した海域環境の再生について研究しています。
田間いろいろな専門分野から地域に関わることができますね。地域とご自分の研究の接点を教えてください。
酒井私の研究のひとつの焦点は、都市です。都市は、さまざまな交通の結節点にあって、グローバルであると同時に、そこに住まう人々の形成するなんらかの共同性によってローカルなものです。このような矛盾するありように、都市のおもしろさのひとつがあります。まさに大阪はそのような矛盾をよくあらわしています。そこで、私の課題は、しばらくは、大阪、とくに新世界あたりを中心とした大阪市の南部地域の研究でした。
サントリー学芸賞を受賞した『通天閣 新・日本資本主義発達史』を持ち微笑む著者、酒井先生。
小野地域福祉は実践的な学問です。地域は研究の対象というよりも、実践しつつ学んでいる場、「研究・実践」というイメージを持っています。また「地域」といっても地域福祉の場合は、いくつかのレベルがあり、日常生活圏域といえる自治会や小学校区ぐらいと、福祉等の専門職のエリアとなる中学校区の広がり、そして市町村の行政単位という三層構成が一般的です。私は、現在大阪府下でも、いくつかの自治体、堺市や大阪狭山市、富田林市など南大阪が多いですが、これらの市で、その三層のそれぞれにかかわっています。これも大枠で言えば、日常生活圏域では住民、中学校区では専門職、自治体では行政職員との関わりが多くなります。
ご自身の著書『対話的行為を基礎とした地域福祉の実践』と『富田林市地域福祉計画』パンフレットについてやさしく語られる小野先生。
黒田私の主な研究対象は大阪湾の沿岸域で、最近は大阪府阪南市を対象地域としています。これまで、大阪湾で厄介者とされているアオサや漁業廃棄物などのエネルギー化やそのエネルギーを利用した海産バイオマス利用システムの実現可能性について研究をしてきました。しかし、一つの技術だけでは海の環境は再生できないと感じるとともに、海の再生とは一体何だろうかと考え始めました。そんな中、同じ研究会のNPOの方が主催した「海と陸のつながりを味わおう」という小学生向けの環境イベントにスタッフとして参加したことがきっかけで、阪南市に頻繁に通うようになりました。そのイベントには、漁師さんも参加されていて、その方から漁業や魚食の話を聞くようになりました。これまであまり意識してこなかった漁業や魚食というアプローチも海の環境再生に重要な役割をもっていると感じ、阪南市で漁業と魚食に着目した研究を始めることになりました。
阪南市にある西鳥取漁港(左)と大阪産(もん)の魚の料理(右)マナガツオの煮つけ、カワハギのお刺身、コウイカと山芋の酢味噌和え、鮎の甘露煮と塩焼き。「どれもおいしいですよ」と黒田先生。
西田僕は皆さんとは少し状況が違っていて、基本的に江戸時代以前の古典文学、文化をあつかっていますから、自ずと対象は関西(上方)のものに絞られてきます。幕府が江戸に開かれても、文芸や文化の中心は基本的に上方にあったということです。僕が対象としている元禄(18世紀初頭)くらいまでは確実にそういう状況であったと思います。ただ他の先生方のお話を聞いていると、専門は違ってもいろいろと関わりがあるなあと感じました。酒井さんの研究を少し過去にさかのぼらせると、僕の研究に近づきますし、小野さんとは、「生涯学習」という面から、一緒に仕事をさせてもらっています。
上方文化センター蔵書『堺鑑(上・中・下)』と『和歌灌頂之巻』を見せながら、上方について熱く語られる西田先生(センター主任)。
田間地域に関わる研究をして、わかったこと、面白かったことは何ですか。
小野地域にはたくさんの可能性があるということに尽きます。特に日常生活圏域の小地域には注目すべきです。もちろん今の地域にはさまざまな排除や差別もあり、地域活動でもしんどい場面も多々あります。いじめ、引きこもり、虐待、また地域の衰退、人口減少など課題をあげればきりがありません。しかし、どのような地域にも地域を気にする人はいます。それが否定的な言葉であっても、地域のことが気になる人がいる。そうした思いを、プラスに転回して、現実化できることは、地域の魅力です。地域活動は、政策による強制や市場の営利目的で行う世界ではないと考えています。住民主体をいかに実現できるかが問われています。
酒井研究のひとつの醍醐味は、それをすすめるうちに、当初の予想が裏切られていくことにあります。私の場合、大阪の地域の歴史にどんどん深入りしていくことになって見えてきたことのひとつは、交通の激しさによる人々の多層性であり、ときに突飛で破天荒でもあるような人間たちの織り成すドラマです。これは現代の人間が忘れがちなことだと思います。
黒田私の場合、自然科学的なアプローチが主なので、皆さんのように人間を対象とした研究はあまりしていないのですが、阪南市に通ううちに、大阪湾(海)のもつポテンシャルの大きさに改めて気づかされました。私たちはいろんな面で大阪湾から恵みを受けていますが、多くの人は大阪湾には良いイメージをもっておらず、無関心な人がほとんどです。ただ、大阪湾が日々の生活に当然のように組み込まれている地域もあります。地域によって多様な関わり方があると思いますが、海からの恵みを意識できる地域はとても魅力的だと思います。
西田先にも申しましたように、古典学史を研究している僕の場合、自ずと上方に関わってしまうので、皆さんとは違って、地域に関わるという意識をあまり強く持っているわけではありません。ただ上方学芸史みたいなことを考えた時に、教科書的には契沖という浪華の学僧の影響から、本居宣長の物語論みたいなところに飛んでしまいますが、儒学を中心に勉強している懐徳堂という私塾の教師の「和学」への関心を間に挟むと、もっと豊かな学芸史が描けることに気づきました。またその評価の高い契沖の学問に、知られていない上方地下(じげ)歌人たちの学芸が匹敵するものであることも、資料を丹念に読み込んでいくことで発見しました。ちなみに「懐徳堂」は江戸の官の学問に対抗して大坂の民の力が結集されて建てられた私塾で、「地域の力」みたいな視点でいえば、皆さんの研究とも接点が持てそうです。
『堺鑑』に興味津々の小野先生と田間先生。
田間地域と関わる研究を、学生に対してどのように指導していますか。
西田これまた地域との関係は、自ずからということになりますが、大学院生には特に原資料に触れるように、指導しています。もちろん古典の原本はほとんど残っていないので、転写されたものや江戸時代に刊行されたものを見ることになりますが、活字ばかりで研究するのではなく、できるだけ原典に近いものにきちんと向き合うことで、まだまだ研究が十分でないことに気づかされます。幸い大阪府立大学にはそのような資料が豊富です。昨年度まで約5年間かけて本大学所蔵の『自讃歌』の注釈書を、院生や同じ分野の教員と一緒に読んでいました。この注釈書は、簡単な紹介はされていますが、本格的な研究はなく、学会にも寄与するところがあるでしょうから、できれば活字化したいと考えています。他にも江戸時代の料理本も多く蔵しており、黒田さんが興味を持っておられる「漁業と魚食」ということとも、少し工夫すれば、共同研究が可能かもしれませんね。
黒田三現主義(現場・現物・現実)という言葉がありますが、まさに三現主義の行動を促しています。漁港に足を運び、漁師さんの生の声を聞くだけでなく、さまざまな情報と併せながら本質的な問題は何なのかを学生自身でしっかりと考える・・・というように。学生は積極的に現地に足を運んで、漁師さんとも仲良くなっています。仲良くなるだけでなく、客観的な見方を保っておくことが肝心ですが。
小野「地域と関わる」という点を特に強調して指導しているつもりはありません。現場には連れて行きたいと思いますが、それだけが重要というわけではありません。学生も忙しい。地域との付き合いは、時間とエネルギーが必要です。関心のある学生は進んで関わればよいでしょう。しかし学生時代は、他のアプローチもあると思っています。ただ、地域の持っている可能性は伝えようとしています。もっともっと伝えたいとは思いますが、まだ十分とは考えていません。
酒井自分の好きなようにやるのが一番ですが、とにかく、研究対象の場所にいくども出かけ、歩くこと、そして、可能なかぎり資料を収集することが大切です。なによりも、発見のよろこびをえてほしいと思います。
黒田先生おすすめの書『魚食と日本人-水産と人・生活・地域のかかわり』林 紀代美 (著)を参考に、話がはずむ。
田間地域研究の魅力は何ですか?
小野現在「増進型地域福祉」というものを考えています。福祉にはまだ、かわいそうな人を助ける、あるいは、基本的な生活の保障というイメージが強いです。これは間違いではありませんし、格差が広がる現在では、求められていることです。しかし、地域福祉はそれだけで終わらなくてもよいのです。地域福祉は、法や制度だけで構成されているのではありません。民間の持つ自発性、柔軟性や地域・コミュニティの持つ共同性を最もよく組み合わせることができます。マイナスからゼロに終わらず、理想を目指す志向を持つのが増進型地域福祉です。その研究と実践は、とてもおもしろい。
黒田私は、海と陸のつながりを大切にした、海陸一体型物質循環型社会を実現させるための研究に日々取り組んでいます。私にとっての地域研究は、厄介者のバイオマスを地産地消エネルギーに変えることから始まっていますが、今後はそのような技術と地域の生業をいかに融合させるかが課題です。技術の精度と地域の生業のあり方の最適解がわかれば、海と人が共生するための道筋も見えてくるように思います。私にとって地域研究とは、私たちの技術が活かせる場であり、技術の方向性を示してくれるものと思います。最近は、地域で当たり前となっている事柄を私たちが掘り起こして、その発見を海と人との共生にどう活かしていくのかを考えることに魅力を感じています。私も研究と実践の両輪が必要なのでおもしろくなりそうです。
西田実は、先程来申し上げているように「地域」例えば、僕の場合は「上方」ということになりますが、それは対象とする時代を決めた時からある程度必然的なものでした。少なくとも日本の古典文学について研究するときに、関西圏から逃れることはできません。けれども、ある文芸の特徴が、時代に由来するのか、個人に由来するのか、あるいは地域に由来するのかということは、とても難しい問題です。僕としては、個人に還元するのはよくないという考え方ですので、できるだけ時代のなかで考えたいと思っていますが、地域性ということも、考えてよいのかもしれません。元禄時代の著名な近松門左衛門と井原西鶴は、それまで過去を語ることが中心であった文芸の世界に、今を見つめる視点を導入します。近松で言えば、曽根崎心中。まさに今起こった事件を取り上げたわけです。西鶴の場合は浮世草子という当時の現代小説を書き始めた嚆矢に位置付けられますが、そのデビュー作『好色一代男』にはまさに同時代の風俗が描かれています。そういう視点は、「上方」という地域のもつ、現実主義的な面と関係があるのかもしれません。そういうことがきちんと証明されれば、きっとおもしろいでしょうね。
酒井研究の過程では、よろこびと同時に悲しみを感じることもありますし、それが大事だと思います。現代の日本は、そもそも地域のようなものを形成するさまざまな積み上げを否定する傾向があります。ダムでも道路でも埋め立てでも、日本の近代化は人の暮らしを、好便や利益の名のもとに上から改造し、すさまじい勢いで土地やその風景を均一化し、ときに、破壊してきた歴史でした。地域の歴史を知ることは、その悲しみにつきあたることです。これはいわば否定的な魅力です。私はしかし、すぐに前向きになったり、なにか「役に立つ」ことをやろうとすることの前に、その歴史の残酷の前に悲しみをおぼえることがなにより必要だと考えます。
西田地域研究というと、何か特別な研究のように思われるかもしれませんが、そういう新しい方法が見出されているわけではないことを、皆さんのお話を聞きながら、改めて感じました。昔ながらの研究をやっている僕は、今回の対談では場違いではないかと感じていましたが、おあつまりの皆さんが、基礎的な研究の基盤に立っておられることをお聞きして、自分の居場所があってよかったと、ちょっと安心しました(笑)。
先生方の地域研究に触れ、盛り上がる座談会。
田間地域研究は、私たちの過去・現在・未来のすべてに関わり、多様な魅力があるのですね。皆さん、どうもありがとうございました。