人間社会学部

言語文化学科

日本言語文化学

人間社会学研究科

言語文化学専攻

日本言語文化学分野

西田 正宏

Professor

NISHIDA, Masahiro

西田 正宏

専攻分野

日本近世文学

担当授業

授業科目概要

○ 日本近世文学

○ 日本言語文化基礎演習

○ 日本言語文化演習
など

主要著書・論文

教員活動情報

【著書(単著)】

○ 『松永貞徳と門流の学芸の研究』(2006年2月3日、汲古書院)


【主要論文】

○ 国文学研究資料館史料館蔵清水谷家文書本『万葉一葉抄』の本文について (『言語文化学研究 日本語日本文学編』第1号、2006年3月、大阪府立大学人間社会学部言語文化学科)

○ 『古今通』の方法―<上方>学芸史一斑―(『都市問題研究報告書』第3分冊『都市文芸の東西比較』、2005年3月、大阪市立大学プロジェクト研究会)

○ 望月長孝『古今仰恋』の方法と達成―地下歌人の古典学―(『国語国文』第73巻第12号・ 2004年12月、京都大学国語国文学会『国語国文』編集部)

○ 古今注の世界―古注のゆくえ―(『国文学 解釈と教材の研究』第49巻12号、2004年11月、学燈社刊)

○ 堀河百首肝要抄について(『女子大文学 国文篇』第55号、2004年3月・大阪女子大学国文学研究室刊行)

○ 「テニハ秘伝と地下歌学―「かな留め」「つつ留め」を中心に―」(『テニハ秘伝の研究』、2003年2月、勉誠出版)

○ 「聞書の意義―『以敬斎聞書』を読む」(『江戸文学』27号、2002年11月、ぺりかん社)

○ 「「江戸時代前期の源氏学―『源氏物語』の出版をめぐって―」(『源氏物語の変奏曲―江戸の調べ』、2003年9月、三弥井書店)

○ 「テニハ秘伝と地下歌学―「かな留め」「つつ留め」を中心に―」(『テニハ秘伝の研究』、2003年2月、勉誠出版)

○ 「聞書の意義―『以敬斎聞書』を読む」(『江戸文学』27号、2002年11月、ぺりかん社)

○ 『鉄心斎文庫 伊勢物語古注釈叢刊 十二』(2002年2月、八木書店)

○ 「近世初期の歌書の出版について―「三十六人集注釈」の和歌本文を手がかりに―」(『雅俗』第9号、2002年1月)

○ 「伝統と実感と―和歌の風景・俳諧の風景―」(『歌われた風景』、2000年10月、笠間書院)

○ 「三十六人集の注釈をめぐって―幽斎と貞徳、その歌学の特徴など―」(『和歌文学研究』80号、2000年6月)


▼詳細リスト

3つのモノが語るミニ研究史

(1)活字本

いま、私どもが古典を読むときに、まず手にとるのが活字本です。この活字本の本文には、句読点や濁点が付され、適宜漢字があてられています。注釈も施されています。 現代の活字本は基本的に研究の成果が反映されていますから、これを研究の取っ掛かりにすることは悪くないのですが、原本をそのまま活字にうつすことは基本的に不可能ですから、先に述べたような何らかの判断に基づいた加工がなされています。また、言うまでもなくすべての古典が活字になっているわけではありません。原本からものを考えようとすることを研究の基盤に考えるならば、活字本は、それからはずいぶんと遠くにあるという認識を持っておくべきでしょう。

活字本
活字本
(2)版本

江戸時代になっていくつかの古典が、印刷され、出版されるようになりました。一枚の板に版画のように文字を彫ってゆきます。これで、一度に数十冊の同じ本が出来上がることになります。写本で伝わっていた時代に比べると、より多くの人が古典に接するようになりました。が、写本の時と同じように彫るための下書き(版下)段階での間違いや、彫り間違いもおこりますし、そもそもあまりよくない写本をもとに印刷されてしまうと、多くの間違いを有した本が、写本の時代より多く流布することになってしまいます。版本は古典を読むときのひとつの基準ではありますが、注意も必要です。

版本
版本
(3)写本

一般に古典は、書写によって流布します。原本があり、それを書き写してゆく営為を経て、伝わってきました。多くの古典は既に原本は失われていますから、多くの人の手を経た写本ばかりが残っているということになります。字体の類似による写し間違いや脱落、あるいは、書写した人の勝手な校訂が加わっている可能性もあります。したがって、研究の第一歩は、これらの写本を突き合わせながら、より原本に近い、正確な本文を考えることから始まります。またそれぞれの伝本の違いの意味を読み解いてゆくことも、そのテキストの享受の一面を考えることであり、重要なことです。

写本
写本

研究内容

中世から近世前期ころの歌学を中心とした学芸史を研究しています。これまでは、従来見過ごされてきた松永貞徳やその門弟をはじめとする地下(じげ)歌人の学芸が、契沖や本居宣長に代表される、言わば実証的な学問(研究)と同程度の知見に到達していたことを『古今和歌集』や『伊勢物語』などの注釈書の具体的な比較を通して、見窮めようと努めてきました。彼らの学芸も、決して彼らの個性の反映ではなく、広く時代の達成としてとらえることも可能なのです。学芸史を辿りながら、時代の思潮を考えること、またそれぞれの時代の注釈が、どのような学芸の環境の中で、成り立ってきたのかについて考察すること、この二つが、いまの課題です。

研究分野の魅力

活字になっていないもの、注釈が施されていないものが中心ですから、それを読むということだけで、ぼくには、おもしろく、魅力があります。近世になると特にそれまでの注釈を集成する時代に入るので、膨大な量と挌闘することになります。まず、それを編纂した情念に圧倒されます。が、一見、博引傍証に見える注釈に実は「ネタ本」があったりとか、いかにも新しい解釈のように見えながら、従来はあまり知られていない注釈書が既にその点に触れていたりとか、注釈の営みの裏側を解きほぐしてゆく楽しみもあります。さまざまな注釈を読んでいると、現在の研究とも似通うところがあって、その研究姿勢に共感することもしばしばです。

指導方針

高校までは加工されたもの(教科書など)ばかりに接してきたはずなので、できるだけナマか、それに近いものに触れてもらえるようにしたいと思っています。全てはそこから始まります。「3つのモノが語るミニ研究史」のところも参照してください。

指導した論文のテーマ

○仮名草子『異国物語』の考察
○浅井了意の歌学知識―『東海道名所記』をめぐって―
○『犬徒然』の方法―近衛信尋の学芸をめぐって―
○桃太郎話の研究
○蝉の和歌史
○『宇治拾遺物語』の近世における受容
○歌論と俳論

など


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