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コラム:「夫婦別姓選択制法制化」考

                    大阪府立大学教授 堀江珠喜

(お断り)文中、「アホ」という現代ではハラスメント認定される可能性のある言葉を敢えて用いますが、ここではあくまでも上方のニュアンスにおいてですので、他エリアの方は「軽薄で単細胞でカワイイ」あるいは「ナンセンス!」という意味にご理解ください。

《アホな保守政党支持者の例》

「研究者の孫娘が、結婚改姓で困ってる。なぜ夫婦別姓が、ダメなの?」
80歳代で一部上場・有名製薬会社の元副社長と「デート」中、こう尋ねられた。
「それは、アナタとアナタの勤め先だった大企業上層部が大好きな自民党が、我々女性の願いを長年、拒否しているからです」
「どうして?」
アホだから!と断言したいのを我慢し、
「自民党は日本男性社会の都合しか考えない。男が社会を支え、女が家庭でその男達を支えるのが理想としてきたからです。今頃、夫婦別姓選択不可の問題に気が付いたのですか? アナタたち、自民党支持者のために、可愛い孫娘さんが研究者として不自由な人生を歩まれることになるでしょうね!」
私は、狭い心の中で「ざまあみろ!」
「僕は、とっくに法律で認められていると思っていた」
アホか! 認識不足もはなはだしい。これだから自民党支持者は困る!

とはいえ、民主党も似たり寄ったりだった。彼らが与党になったとき、「もしかして!」と期待した者も少なくなく、事実婚の私自身も雑誌『アエラ』(2009年10月19日号、pp.70-71)で、インタビューにこう答えたーー「法改正されたら結婚(法律婚)します」。
福島瑞穂消費者・少子化担当大臣(社民党)も、早期の法案提出に意欲的だった。
だが、自民党出身の民主党大物議員が、超保守で、この件は進展せず。結局、民主党が実行したのは、消費税を5%から8%に上げる決断をしただけだった。いったい「仕分け」はどうなった???
この件からも推察できるように、自民党のみならず、「旧自民党系」あるいは「自民党もどき」が権力を握る限り、日本の女性は我が国では「活躍」に足枷をつけられているのが実情なのだ。

 

《「夫婦別姓」前夜》

私が結婚した1981年、まだ「夫婦別姓」という言葉を聞いたことはなかった。最初に目にしたのは、女性週刊誌で、おそらく1984年くらいだったのではないか。やっと、マスコミがこの問題を取り上げてくれたのだ。初めて、このこの言葉を活字で見たときの感激は、今でも忘れない。言葉が生まれたのだ!
状況を表す用語が無いのは辛い。たとえば「セクハラ」や「ストーカー」が一般語になる前から、女性たちは被害に遭っていた。だが、的確な言葉がなければ、巧く説明できず、誤解されて二次被害を受けていたはずだ。院生だった私の尻を触った教授は、当時は「イヤラシイ男」でしかなかったが、今なら「セクハラ」、「アカハラ」、「パワハラ」オヤジだ!

「夫婦別姓」についても、言葉が知られるようになれば、法制化はされずとも、存在は「市民権」を得られるようになる。だが、私は、この言葉の前から、「堀江」を夫の姓「田中」より優先させる苦労をしていた。
なにより、周囲に説明するのが大変だったのだ。今なら「夫婦別姓です」で済むが、状況と理由を、いちいち述べ、そのあげくに「せっかく嫁にもらってもらったのに変な子! やっぱり女は学問すると理屈っぽくなる」くらいの反応は、フツウだった。

もっとも私の母の世代のように、多くの結婚適齢男子が戦死し、「男一人に女がトラック3台分」とまで揶揄された結婚難を経た女性たちにとって、「改姓(=婚姻)」は、いわば「勝ち組」の証であり、それを拒む娘の気持ちは理解しにくかったかもしれない。いっぽう私の場合は、5歳〜7歳上にベビーブーマー男性たちがいて、結婚相手など、いくらでも見つかりそうな状況で、「嫁にもらってもらう」ではなく「結婚してあげる」の優勢心理が「夫婦別姓」に繋がったかもしれない。

私が中学から大学院修士まで通った神戸女学院では、既婚女性の旧姓使用に問題はなく、世の中もそんなものだと、思い込んでいた。ガラパゴス状態だったのだろうが、米人女性宣教師が創設したプロテスタント女子校のため、日本の保守男性社会からはかけ離れていた。おかげで12年間、学内では「君が代」と「日の丸」とは無縁で過ごした。
私の入学のはるか以前に行幸があったそうだが、当日、滞在時間が予定より大幅に削られ、披露するはずのダンスがカット。そのために休日返上で練習してきた生徒や体育教師が泣き続けたという悲しい話しか伝わっていない。

それが、神戸大学博士課程在学中に、結婚し、うっかりと婚姻届を出してしまった!まあ、私はまだ学生だったから、夫の会社に健康保険の面倒などとみてもらうなどの理由もあったが、うかつだった。すでに私には非常勤講師などの収入があり、どうせ夫の配偶者控除は受けられなかったはず。まあ、扶養家族手当は、彼の給与に入ったのかもしれないが。

というわけで、1982年3月31日付けの学術博士号は、「田中珠喜」の名前で出された。教育費は、堀江の親が出したのに! ブツブツ。しかし、それまでの論文と同様、博士論文を単行本にするときには、「堀江珠喜」の著者名にした。
研究者にとって、名前は「屋号」や「商標」みたいなものだ。よほどの理由がないと、変更で得することはない。私にとって、今でもパナソニックは「松下」だ。
驚くべきは、その頃、非常勤講師として教えていた親和女子大学も、専任で採用してくれた園田学園女子大学も、旧姓使用に理解なし。
女子大は、女性の将来の可能性を広げるのが教育目的ではないのか? ところが、通称使用も認めないなんて、おかしい。いや、女子大といえども、私の母校とは異なり、所詮は男社会の男たちが創った、男にとって都合の良い女子教育機関であったということなのだ。
交渉の結果、両校において、紀要論文執筆名と公開講座だけは「堀江」が許された。というのも、すでに堀江珠喜で著書もありマスコミにも出たので、学校も「客寄せ」には効果的とみなしたのだ。だが、それ以外は戸籍名。カリキュラムも戸籍名。そこで、私は学生たちに「珠喜先生」と、呼ばせた。

このような状況は、体験した者でなければわかるまい。ストレス! 物凄いストレスだ!
そこで、夫と話し合い、「離婚届」を出した。「法律が我々の生活に合わないのなら、ライフスタイルに合わせて法律を利用するしかない」という夫の判断力には、感激。
日本の婚姻に関する法律で、唯一評価できるのは、双方が合意すれば、すぐに離婚届けが受理されることだ。ちなみに市役所の窓口へ提出したとき、私の後ろに並んでいた熟年女性から「離婚、おめでとう!」と祝福された。そう、結婚より離婚のほうが、大変なケースが多いのだ。
戸籍名が「堀江」に戻った証拠を園田学園女子大学事務局へ突きつけたときには、担当者はかなりショックを受けていた。「だって、戸籍名でないと仕事させてくれないでしょ」と私。
保守派は「戸籍を汚す」云々というが、自分の人生に合わせて、都合の良い選択をすればいい。個人番号が与えられた現代なら、そもそも戸籍なんて不要のはずでは?

これ以降、必要に応じて、夫とは「結婚」と「離婚」を繰り返した。1990年に、訳あって共有名義で東京のマンションを購入するために最後の「結婚」をし、一ヵ月後に離婚。それ以降は、事実婚のままだ。
私の最初の「離婚」と、「幾つかの夫婦別姓選択制」を進める活動グループが、ほぼ同時だったと思う。すぐに、2、3の団体に入会し、今でもメンバーだ(会費を払うだけの幽霊だけど)。

 

《少子化による別姓支持保守層出現》

私が結婚した頃、「少子化」の心配はなかった。少し上の世代であるベビーブーマーが、「女性はクリスマスケーキ」と脅され、25歳には結婚して出産してくれていたから。おかげで、我々の時代はDINKSがファッショナブルだった。つまり夫婦がともに稼いで、子供を作らず、二人分の収入で優雅に暮らすのだ。
一般論として、夫の収入だけで賄う家族の世帯に比べたら、そりゃ、こちらは贅沢ができる。そんな生活レベルを下げたくないところに、夫婦別姓なら子供がイジメられると自民党系保守が非難を始めたので、じゃあ、子供は不要。ま、夫婦別姓選択制が法制化されたら、産んでもいいかと私自身は思っていたが、出産適齢期なんぞ、とっくに過ぎた。
ほら、少子化の原因の一つは、自民党系保守の「アホ」さに、あるのですぞ!
実際、別姓夫婦の子供が、姓の違いでイジメられたという話は聞いたことがない。それだけでイジメられた例があるなら、教えて欲しい。「アホ」が、勝手に想像して広めただけなのだ。もちろんかつては「妾の子」とイジメられた時代があったから、それを思い出して利用したのだろう。「婚外子差別」も問題だが、別姓夫婦の子供は「妾の子」ではない。どうして、理解できないのかなあ。だから「アホ」なのだ。

ベビーブーマーのいわゆる結婚適齢期が終わった頃、「跡継ぎがいない」と心配する保守の一部が、夫婦別姓選択制を支持し始めた。「息子がいないので、娘が結婚しても、夫の姓ではなく実家の姓を名乗れるように」と。
戦前に比べれば、戦後は、乳幼児死亡率が低いが、生まれる子供の数も減っている。かつては3人くらい男児がいれば、婿養子に一人を出すこともあったが、もう1980年代では、そんな人的余裕はない。
よほどの資産家なら、婿養子を迎えられるが、戦後の財産税やら、農地改革による斜陽族には、その力もない。だが、「保守」らしく「家」は守りたい。だから……というわけだ。
もし、彼らの意見が強くて法制化されていたら、今日の「女性宮家」への理解に繋がったかもしれない。内親王や女王は、結婚後もその地位とタイトルは使えるが、結婚相手は皇族にはなれないし、「宮」も名乗れないと。子供? 男系天皇DNAにこだわる保守の気持ちに寄り添うなら、女児なら皇族、男児なら平民、女児は宮家を継げるが、男児はダメ!でしょ? ふふふ。
目的達成のためなら、本来は正反対の立場の「家制度派」と手を組むのも愉快と思っていたが、いつのまにか、このような保守層は発言をやめてしまった。どうにか跡継ぎをゲットしたのか、諦めたのか、絶滅したのか?

 

《別姓選択制反対派のアホな理由》

「感情は論破できない」、というのが「夫婦別姓選択制」法制化運動にあたって、私が出した結論だ。要するに、「嫌だ」が先にあって、理由は後付。従って、アホな反対理由が次のように述べられてきた。

① 夫婦同姓は日本の伝統。
ふうん、そうなんだ。じゃ、源頼朝の正妻は、北条政子と呼んじゃいけないのね。日本歴史教科書改訂!そういえば、日野富子って、誰の配偶者でしたっけ? 夫は日野義政? 私、ずっと足利義政だと思っていましたけど?
そもそも名字帯刀って、庶民に許されてましたっけ?
じゃ、夫婦同姓の伝統って、いつからでしょうねえ? ふん!

② 姓が異なると家族の一体感がない。
ウソ! サザエさん一家を見よ! あれはフィクションだが、当時の庶民生活をよく反映している。日本の住宅事情が悪く、マスオさんの収入では独立できないから、妻の磯野家に同居しているが、皆、とても仲の良いファミリーだ。姓が違うことで、ギクシャクすることは、母の祖母と同居していた私の実家でもなかった。

③ 別姓だと離婚が増える。
それ、別姓選択制法制化実現の前に、どうやって統計を出しました? あくまで推定ですよね。私など、別姓を認めてもらえないが故に、離婚歴3回ですぞ!
まあ、夫婦別姓を選ぶ女性は、フルタイムやキャリアの仕事をしている場合が多く、従って夫の収入に頼らなくても良いから、離婚に踏み切りやすい、という事情は理解できる。でも、相手のことが嫌になれば、戸籍上は同姓でも、経済的な心配がなければ、ちゃんと離婚するものだ。
夫の姓を選んで結婚した専業主婦だって、離婚する。これまでの絶対数は、別姓夫婦より同姓夫婦の離婚のほうが多いはず。だって、別姓は少数派だもの。そう、あくまで離婚のネックは、「姓」ではなく「カネ」でしょ?

そうして、苦し紛れに某自民党保守代議士が出してきた理由が、こうだーー「別姓がファッションだと思って、婚姻時にそれを女性が選択して後悔するかもしれない」
あのねえ、そういうのを過保護って言うの! だったら結婚だって、ファッションでしょ? そもそも日本の伝統では、夫婦は別居の通婚(妻問婚)。夫が訪ねて来なくなったら、ハイ、それまで!平安朝の文学、読んだこと、あります?
この代議士は女性だけれど、選挙区が保守のため、本心なのか選挙対策か、わからない発言をする。従って、彼女をアホとは断定できない。だが、自民党でも、夫婦別姓選択制に賛成の、素敵な女性代議士もいらっしゃるのだけれど!

 

《法改正への作戦失敗》

私が「堀江」にこだわるのは、あくまでビジネスにおいて、不利益を被りたくないからだ。別に父方の姓に思い入れはない。選べるなら、母方の祖母の旧姓「大鮫(おおざめ)」のほうが強そうでカッコイイ。(あ、だから私、フカヒレとキャビアが好きなのね!)
だが、1980年代には、結婚改姓により「アイデンティティ」を喪失したと、専業主婦の方も、前述の別姓選択制運動グループに入会され、彼女らの気持ちは尊重された。
しかし、今、思えば、それが活動の失敗だった。(今でも法改正がないというのは、現状で「失敗」とみなさねばなるまい。)
目的のためなら手段を選ばすではないが、敵を知らねば、戦えない。敵は、(自分たちの思考能力を超えた、あるいは考えたくもない)変革を嫌う権力ある男たち、および彼らにただ同調する「自分」を持たない女性たちなのだ。
そんな彼らと戦うには、彼らのレベルまで下がり、同じ土壌に立つ必要があったのだ。
具体的に言おう。「アイデンティティ」などと、日本語にならないような言葉は使うべきではなかった。しかも、夫の扶養家族である専業主婦の「アイデンティティ」など、彼らに理解できるはずがあろうか、いや、無い。(おそらく彼らは「ジェンダー」という言葉にもアレルギー症状を示すだろう。)
専業主婦の方には申し訳ないが、作戦上、アホな彼らでも理解できるように「仕事上の不都合」という経済的ワン・イシューで押し通すほうが良かったかと思う。

大学教員は、徐々に通称使用が認められていった。
前述の園田学園女子大学も、私が辞めた後、通称OKになったようだ。私が要請したときに、承諾してくれていたら、離婚、再婚、再離婚、再々結婚、再々離婚なんて、手間をかけずに済んだし、府大にも移らなかったかもしれない。大学上層部のオジサンたちとは、この件で話が合わなかったが、あそこの学生たちについては、私は好きだったから。

だが、やはり免許の関係で戸籍名が必要な業種もある。現在、医師免許は取得時の姓を変える必要がないと聞くが、私の世代では戸籍名オンリーだった。とはいえ、現在でも戸籍名が必要な書類等もあり、多くの既婚女医には、姓の使い分けが強いられる。
また、俗に言う「宅建」資格証も、戸籍名記載だ。テレビドラマ『家を売るおんな』のヒットで、不動産業界への就職を希望する女性が増えたらしいが、彼女らを待ち受けるのは、法律婚後の通称と資格証名の違いなどのストレスだ。もちろん、結婚改姓で、顧客と連絡できなくなるリスクもある。
女性がフルタイムで働き、年金と税金を納める必要のある経済状態の今こそ、「経済活動における不利益」だけを理由に、「経済」という言葉を連発する自民党政治に対峙できるのではあるまいか。もし、不利益がないとの反論されたら、その方々に改姓して実体験して欲しいものだ。セクハラや差別と同様、「痛み」は、当事者にしかわからないのだから。

 

《シニアの実態》

しかし、いまさら法制化されても、私は事実婚で通すかもしれない。正直なところ、「夫婦別姓選択制」云々と付き合うのは、疲れた。もう、人生も終わりに近づいたので、どうでもいいというのが本音だ。
それより、本文の冒頭で紹介した例のように、祖父母や両親が、この件に無理解、無関心だったために、その子孫が苦労する、という話を聞くのが面白い。恨むなら、アホな身内だわよ、と。
そう、私は心の狭い人間だ。だから、私に苦労させた者たちの子孫に、同じ苦労をして欲しい、とすら思う。というか、現実に、そうなっている。晩婚化、非婚化、少子化だって、別姓選択不可の法律が無縁とは思えない。
嘘だと思うなら、バリバリ仕事のできる男性に、こう聞けばいい。「結婚したら姓が変わって、ビジネスに支障がでる恐れが多分にあるという状況でも結婚したいですか? ただし、かつての婿養子とは異なり、資産家の当主にはなれません」
「そんな面倒な。コンビニもあって、ルンバや全自動乾燥機能付き洗濯機もあるし、カネがあれば、適当に女の子と遊べるから結婚なんてしない」との答えが大半だろう。
仕事する女性だって、そうだ。子供が欲しいという気持ちが強くなければ、誰が結婚なんてするか。経済力があれば、好きな相手と都合の良い期間だけ、同棲すればいい。
政府としては、なんとしても若者に結婚して子供を産んで欲しいのだろうから、仕事する女性に不都合が生じないよう、妥協すればいいものを、しないんだなあ、日本の男性社会御用達政党は。

もっとも、シニアの私は、次の理由から法律婚に躊躇している。
① 親からの相続財産が私の死後、夫に渡る、まではいいが、彼の死後、彼の親戚が受け取るかもしれない。あんな連中に使われてたまるか! (私は心の狭い人間である。某大学医学部に遺言信託で全資産の寄付手続きを、近いうちにするつもりだが、法律婚だと遺留分を請求されるかも。)
② 法律婚でなければ、一方的に縁切りできる(はず)。
③ この年齢で婚姻届を出すってどうよ?という気もする。事実婚で、お互いを尊重し、大事に思い、ともに無理解な社会と闘ってきた「我が同志」、という結束力のほうが、戸籍上の夫婦の絆よりも強いと感じてならない。

さて、遺族年金を受給しているシニア女性の場合、法律婚すると、年金が打ち切られる。そして再婚がうまくゆかず、離婚しても、当初の遺族年金は復活しない。だったら、というので、婚姻届を出さないシニアカップルが存在するのは事実だ。もっとも、最近は、時折、調査が入り、法律婚でなくても内縁関係がみとめられると、遺族年金が止められることもあるらしいが。
私の場合は、自分の年金があるから、関係ない話だが、今のシニア層には専業主婦が多く、さらに長寿社会だから、遺族年金と再婚との兼ね合いは、現実的な問題なのだ。
シニアが事実婚を始めたら、社会における結婚観も変化する。事実婚のほうが得かも?と。
いずれにせよ、「多様性」を唱えているわりには、わけのわからない伝統で国民の人生を一本化しようという政権下だが、選択肢は多いほうが良い。夫婦別姓選択制も、そのひとつ。

でもね、私、もう法制化なんて要らない! せいぜい苦労してね、「保守」の子孫たち!
そして、若い女性の皆様、日本の男性社会とはサヨナラして、女性が本当に活躍できる国に渡る人生もあります。生まれる国は選べないけれど、いつまでも「在日日本人」でいる必要はないのです。
なんだか楽しくなってきた。定年退職後の私の目標は「意地悪ばあさん」である。