研究フォーカス

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10 新たな知の構築に取り組む研究者の挑戦

1つのテーマに対して、異なる分野の先生方がご自身の研究を語り合います。

人間社会システム科学研究科は、「人間社会学専攻」と「現代システム科学専攻」からなり、6つの研究分野から構成される分野横断的な研究組織となっています。本日は、それぞれの研究分野から興味深い研究に取り組んでいる先生方をお招きし、研究の内容をご紹介いただくことにいたしました。では、簡単な自己紹介をお願いします。

林 佑樹(以下林) 現代システム科学専攻 知識情報システム学分野で、人間が高度な知的活動を行う上で重要なスキルを育むための学習支援を実現することを目的に研究しています。
現代社会の変化に伴う新しい要求や解のない問題に対して、批判的思考、協調的問題解決、意思決定、メタ認知といった高度なスキルを育成することへの社会的な要請が高まっています。このようなスキルが必要とされる領域では、学習領域を体系的に学ぶ教育とは異なり、ただ一つの解や手順をあらかじめ想定しておくことができません。また、スキルを発揮する際に人間がどのような振る舞いをするのかも十分に解明されていません。この課題にアプローチする研究テーマの一例として、学習者のメタ認知活動(考えていることを考える思考活動)の一端を視線情報から分析するためのシステム開発方法論の考案や、学習者の自作文章に対する読み手の視線情報を計測し、これをメタ認知活動を引き起こすための刺激として用いる能動的な学びの場を提案しています。

楊 眞淑(以下楊) 人間社会学専攻 言語文化学分野のヤン ジンスクです。わたしの研究分野は社会言語学で、言語学だけでなく、人類学や歴史学、社会学などの考え方も必要となる複合分野です。社会的格差および様々な環境にある不公平・不平等に対して、言語がどのような関係性をもっているかという点に着目して研究をおこなっています。研究アプローチで特に重要視しているのは民族誌です。そのため、フィールドワーク先では長時間・長期間にわたって対象グループを観察し、言語使用の特徴およびその背景を明らかにしようとしています。

川部哲也(以下川部) 現代システム科学専攻 臨床心理学分野で、心理療法の実践と臨床心理の研究に取り組んでいます。今、進めている主な研究は2つあり、ひとつは発達障がいの人の記憶について。もうひとつは南極越冬隊員の心理研究です。
近年、発達障がいという言葉をよく耳にするようになりました。その発達障がいの中核にあるのが自閉症という概念です。臨床心理学では、自閉症の人がどのようなものの考え方・感じ方をするのか、どのように世界を捉えているのかを、一人ひとりの心に沿いながら理解していこうとします。私が最近研究しているのは「記憶」です。自閉症の人の記憶は、どれだけ昔のことであっても、ありありと思い出すことができたり、逆に最近のことが遠い昔のことのように思い出せなかったりすることがあります。その特殊さゆえに、周囲から誤解されることも多く、日常生活で困っている人は多いように思います。発達障がいの人の記憶の仕組みを研究することにより、研究の成果がそのまま心理療法に活かせるところがこの研究の魅力だと考えています。

 

藤井佑介(以下藤井) 現代システム科学専攻 環境システム学分野で、「大気環境学」の研究に取り組んでいます。我々が居住している対流圏における粒子状物質(エアロゾル)の化学的性質やその変化(エアロゾルが発生してから消失するまでの挙動など)について、フィールド観測や室内実験を通して明らかにしようとしています。
大気中に浮遊しているエアロゾルの発生源は多岐にわたり、異なる性状を有する多種多様なエアロゾルが大気中に存在しています。例えば、最近よく耳にするPM2.5もエアロゾルに分類されるもので、ヒトへの健康影響が疫学研究の結果から指摘されています。また、工場や自動車の排気ガス、森林火災等から大気中に排出されるすすは黒色で、健康影響に加えて太陽光を効率よく吸収して大気を加熱する温暖化効果を併せ持ちます。このように、エアロゾルは直接または間接的に我々の生活や地球環境に関わっています。その他、エアロゾルは様々な大気環境の現象や問題に関与しています。

吉田直哉(以下吉田) 人間社会学専攻 社会福祉学分野で、戦後日本の保育理論、特に保育カリキュラム論の変遷を研究しています。保育所や幼稚園などで展開されている保育は、必ず子ども観・発達観をベースにした保育理論に支えられています。日常的には、それらは保育者にとっても保護者にとっても意識されることはないのですが、保育実践や子育てを介して、子どもの生活や成長を深いレベルで規定し、意味づけているのはそういった「暗黙の保育理論」です。その「暗黙の保育理論」をえぐり出し、言語化し、意識化させるのが現在の私の研究テーマです。

森岡次郎(以下森岡) 人間社会学専攻 人間科学分野で、教育哲学・教育思想史という領域で研究をしています。教育哲学や教育思想史という学問においては、「教育とは何か」「人間とは何か」「教育とは、どのように考えられてきたのか」という、抽象的で大きな問いをめぐって、様々な切り口から研究がなされているのですが、私はとりわけ、人間を「格付」する思想に関心をもち、研究を進めてきました。

 

牧岡 ありがとうございます。では、現在の研究を取り組むにいたるエピソードなどについてお話いただけないでしょうか。

 もともとは中学校の英語教師として経験を積んできました。学生の英語力は幅広く、その指導にあたる中で、学生のモチベーションや英語力と彼らの社会的背景やピアグループに関連性があることに気づきました。そういった日々の中学校での観察が、カナダのトロント大学で取得した博士号の研究テーマに昇華され、博士論文では韓国における社会階層と学生の英語力との関係性について扱いました。
現在では在日韓国・朝鮮人と彼らの言語使用に研究を広げています。最近1つ草案を書き上げたところで、そこではなぜ日本では韓国の言語を表すのに「韓国語」と「朝鮮語」、ふたつの単語が存在するのかという疑問から、「韓国語」対「朝鮮語」にまつわる政治的背景について論じました。この研究を通して、日本・韓国の両国における在日韓国・朝鮮人の歴史について理解を深めることができ、大変有意義でした。

論文作成のため、韓国の中学生からデータ収集している様子です。

 文章を書くことは思考を外化する活動であり、思考が十分に整理されていないと論理的に整った文章にはなりません。他者がその文章を添削するとき、思考の整理不足による文章の不備にチェックが入ることになります。そこには、思考の過ちに気づく最良の機会になって欲しいとの思いが込められている一方で、文章の書き手が添削内容を十分に吟味せず、何故修正されたのかを学ばない(メタ認知的学びが起きない)場合も少なくありません。このような状況で、いかにして主体的なメタ認知的学びを実現できるか?がこの研究の出発点となっています。
視線情報に着目したきっかけは、同時期に別の研究で視線分析をしていた際に、文章の読み手がどのようなことを考えているかを視線の動きから推察できたという経験にあります。分析目的で利用されることの多い視線情報ですが、この「分析眼」を書き手の思考文脈で発揮させるために、院生と多くの議論を重ねながら学習活動をデザインし、研究活動の枠組みの中で三ヶ月に渡る長期実践へと展開しました、ここでは視線を手がかりに読み手の読解思考を推察することで、十分に推敲した!と書き手が判断した文章であっても、書き手が新たな修正点を自発的、継続的に見出すという新奇な学びの可能性を示すことができました。

アイトラッカーによるアイトラッキング(視線計測)で、どのように読解思考を推察するのかを説明中の林先生。

吉田 私は元々、某国立大学の大学院で教育学、特に青年文化論を専攻しており、現在のような乳幼児期の保育研究などは全く眼中にありませんでした。ところが、大学院を辞めて最初に赴任したのが短大の保育学科。右も左も分からないまま、保育について最初はイヤイヤながら勉強を始めました。が、2年も経つと、保育研究の奥行きが見えてきて、この分野をライフワークにしようと思うようになりました。
よく、「何で保育の研究を始めたんですか?」「子どもが好きなんですか?」と聞かれます。答えは、「保育の研究を始めたのに理由なんかありません。たまたまです」、「子どもは好きでもないし嫌いでもありません」(笑)。研究領域を選んだきっかけが何かなど、ある意味では、どうでもいいことだと思っています。たとえ、私のような、いい加減な理由で始めようが、きちんとしたやり方で、しつこく続ければ、それなりに価値のある研究ができて、誰かの目に留まるかもしれません。そうなることを願って、「地味」な研究を続けています。

「子ども時代を忘れた大人には、多角的・多元的に子どもという現象を捉える視点が大切です。」とやさしく語る吉田先生。(写真はイメージです。)

森岡 私の研究につながる問題意識についてお話ししたいと思います。ある特定の能力の有無によって人間を格付・序列化し、競争的に所得を傾斜配分することは「正当」である。なぜなら「できる人」は「できない人」よりも価値があるからだ。こうした前提を採用した上で、教育とは「できなかったことをできるようにする営み」である、とすると、教育は人間の格付・序列化に加担することになる。そして、様々な制約によって、教育を受けても「できるようにならない人」は、「価値の低い」人の位置に釘付けにされてしまう。こうした考え方(思想)に、違和感を持ち続けてきました。
このような問題関心から、人間の能力に「優劣」を設定した上で生殖に介入する「優生思想」の歴史的展開と現代的課題について、特別支援(障害児)教育について、近代・現代の教育思想家や哲学者たちによる議論に頼りながら、研究を進めてきました。また、同様の関心から、画一的ではない「多様な学び」、オルタナティブ教育(スクール)の教育実践にも興味を持っています。
私たちは、どうすれば、人間を格付しない、序列化しない社会を実現することができるのか。そのために、教育にできることは何か、教育はどうあるべきか。これが私の研究テーマの根源にある問いになっています。

競争原理を排した教育実践を行っている自由の森学園中学校・高等学校を継続的に見学・観察をしている森岡先生。

 

牧岡 最近の研究には、どのようなものがありますか。補足して説明いただけませんか。

川部 南極越冬隊員の心理研究に取り組んでいます。南極にある昭和基地は日本からはるか約14000キロ離れています。南極へは船で行き、その船は1年に1回しか南極にやってきません。夏隊は約半年、越冬隊は約1年半、帰ることができないのです。そのような特殊な環境に長期滞在することによって、心理的にはどのような影響を受けるのかを研究しています。
研究を始めてわかってきたことは、南極は確かにつらい体験も起きるけれど、日本では得ることができない貴重な体験ができる場なのだということです。南極では常に同じ仲間と共に暮らすことになりますので、濃い人間関係となります。それが良い体験となるか、ならないかは時と場合によりますが、そこには現代の日本の社会が失ってしまった何かがあるように思われます。南極にあって日本には無いものを探していくと、現代の私たちが生きるために必要なものが見つかるのではないかと思って研究を進めています。それはとても刺激的な作業です。

「南極では魅力的な研究がたくさんなされています。南極は、研究素材の宝庫です!」と川部先生。(写真はイメージです。)

藤井 現在私は、バイオマス燃焼(森林火災、野焼き等)に伴って発生するエアロゾルに焦点を当てた研究に取り組んでいます。特にバイオマス燃焼が盛んな東南アジア地域のインドネシアやマレーシアを主なフィールド対象としており、積極的に海外の大学と共同で研究を行っています。
この研究は私が学生時代のときから長年にわたって続けており、研究立ち上げから当時の指導教授(現在:東野達名誉教授(京都大学))と取り組んできました。熱帯地域での観測機器の安定稼働や設備以外にも各国特有の文化や考え方に基づく交渉など、普段の研究(例えば化学分析・データ解析)面以外のところで非常に苦労しました。しかし、その甲斐もあって多くの科学的な発見に繫がり、私自身も研究者として成長することができたと感じています。

研究フィールドであるインドネシアの泥炭火災によるエアロゾル観測風景

 現在、日本の大学にいる中国人大学院生の社会化過程について調査する研究プロジェクトの準備中です。留学生の数は増加傾向にありますが、日本の大学や一般社会は学生人口の多様化について、どの程度備えがあるのか興味をもっています。学生、スタッフ、先生方からのヒアリング調査ができるフィールドワーク先の準備を進めています。

 

牧岡 ありがとうございました。最後に、研究の魅力について、どのようにお考えでしょうか。

藤井 誰もが未だ理解できていない現象を解明したときには安堵感と同時に大きな喜びで溢れます。それは、そこに辿り着くまでの困難な道のりに加えて、自身が好きな分野での成果だからこそ、その想いは一層強くなるのだろうと感じるこの頃です。

森岡 私たちは誰でも、多かれ少なかれ、教育を受けてきました。それゆえ、自らの経験に基づいて、誰でも教育について語ることができる。このハードルの低さは教育を語る際の特徴であり、メリットでもあり、デメリットでもあると思います。
私たちは、特定の歴史的・文化的な制約のなかで教育を受けてきました。その、自らの依拠する教育的価値の偏狭性、バイアスについて意識するためには、教育という事象を歴史的、文化的に相対化する視点が重要になります。自分の立っている場所から距離をとり(場合によっては掘り崩し)、安易な基準に飛びつくことなく、教育的価値について熟考する。こうした姿勢を手に入れることは、とても苦しく、また楽しいことでもあります。

 社会言語学は異なる背景を持った人々の社会的関係について理解するための優れた手段だと考えています。また、「世界経済に英語は必要不可欠」「大阪弁はおもしろい、京都弁は上品」など、常識のようになってしまっている言語に関する一般的な考えを再分析するのにも役立ちます。

川部 臨床心理学は、悩み苦しむ人のそばにいて、その人の語りに耳を澄ませるために必要な学問です。研究を進めるごとに、自分の中で考え方や感じ方が広がる心地がします。研究で得られた考えを今後の心理療法に活かしていけたらと考えています。

吉田 「子どもが好きだから保育研究をしているわけではない」と先ほど申しましたけど、それは、保育研究を「仕事」としてやっているということです。「好き」でやっているというのは、趣味です。趣味は「好き」でなくなったら止めればいいけれど、「仕事」はそうはいきません。
私の保育研究も、趣味ではなく、「仕事」です。「仕事」とは、「誰かが必要としていることを、その人の代わりにすること」です。誰かに必要とされていると思えることを生業にできるというのは、とても楽しいし、本当に幸せだなあと思っています。

 昨今のAI技術の発展や情報通信機器の普及も相まって、情報化社会は更なる高度化を見せています。社会生活の利便性を高める技術革新が進む一方で、私の研究の興味は人間だからこそ発揮できる高度なスキルを高めることにあります。「あればできる」を超えて、「なくてもできるようになる」学びの補助輪としての情報処理技術の在り方を探求することに、大きな魅力を感じています。

牧岡 皆さんのお話を伺って、問題意識が明確であり、かつ難しい問題にチャレンジしながら、新しい知見を生み出そうと日々努力されておられることがよくわかりました。これからも頑張ってください。みなさん、ありがとうございました。

 

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